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ドリフのメンバーだった荒井注って知ってる?絶頂期に脱退そして引退!

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ドリフが好きなら荒井注さんの存在も忘れてはならないでしょう。

ザ・ドリフターズが人気絶頂の頃に脱退。

自らの意思でフェイドアウトしていった人物。

厳密に言えば、荒井注の場合は、芸能界引退ではなく「お笑い界引退」というスタンスでした。

人気絶頂で…

「なんだバカヤロー!」

態度はデカかったのですが、誰からも愛されたお笑い芸人がいました。

荒井注…

人気お笑いグループ、ザ・ドリフターズの一員だったのです。


当時、爆発的人気を誇っていたドリフターズを、何の惜しげもなく、ある日突然やめてしまいました。

その後は申し訳程度にテレビの2時間ドラマに俳優として出演することはあったのですが、お笑いの世界に戻ってくることはありませんでした。

そして、2000年2月9日、荒井注はこの世を去りました。

脚本家志望のつもりが

晩年は伊豆で過ごしていましたが、当時のインタビューが残っています。

「僕は人の前に出てやりたいなんて気持ちはちっともなかったんです。むしろ、脚本家志望でそのつもり大学でも国文科を選んで、勉強していたんですよ。それがどこでどう間違ってしまったんですかねえ」

ドリフ世代にとって、荒井注に対する思い入れは強く、飄々(ひょうひょう)と話す姿はやっぱりあの荒井注でした。

その半生もまた飄々としていました。

学費稼ぎのために、バイトでバンドマンとしてライブハウスに出入りしていたのです。

気がつけばそれが本職となり、やがてドリフ夕ーズのリーダーであるいかりや長介と出会います。

ドリフターズといえば、やはり「8時だヨ! 全員集合」。

1969年から16年も続いたお笑いの公開生放送番組です。

全員集合開始後5年で脱退

荒井は5年で番組だけでなくドリフターズからも身を引いてしまいました。

ただ忙しいだけではありませんでした。

ケガも多かったのです。

客から笑いをとるために、体をはったコントが少なくなかったからです。

大量の水が降ってきたり、ブリキのたらいが頭を直撃するのは当たり前の世界で、誤って水ごとバケツが落ちてくることも珍しくなかったといいます。

実際に荒井の体には縫った跡が何カ所も残っていました。

常に満身創痍で仕事にのぞんでいたのですね。

特に、一番年上の荒井の体にはこの“肉弾戦”は堪(こた)えました。

とにかく、ものがあらゆるところから落ちてくるのです。

ドリフ脱退時、荒井注は45歳。平均寿命が延びた現在ならば考えられないほど早い段階での引き際でした。

 

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今日も、ドリフターズを聴こう。 #荒井注 #ドリフターズ

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2000年に亡くなった際の葬儀で弔辞を読んだのはリーダーのいかりや長介。

霊柩車は参列者の「なんだバカヤロー!」の掛け声で見送られたといいます。

ネットの反応

「自分で引き際遠決められる人は幸せだと思う。」

「荒井注さんがドリフを辞めた時はショックだったし加入したばかりの志村けんは面白くなく全員集合を見なくなった。」

「荒井注さんは、他のメンバーよりもひと回りも歳上だから、相当キツかったろうね。」

荒井注が脱退して志村けんが売れた印象ですが、それにもタイムラグがあります。東村山音頭でブレイクするまではそれほど面白くはなかったんですよね。

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